京都西陣大黒町の織成館にて「芸舞妓の衣裳展」を開催。展覧会に合わせて「かみ添」の紙を納品しました。芸舞妓の衣裳を見ていると、良く見る意匠がずらりと並んでいます。全ての着物の地に「さや型」が使われているのはなぜなのでしょうか?織成館自体、島根県の廃校になった小学校の廃材で作られたユニークな建築です。しかもアメリカ人宮大工のマイケル・アンダーソン氏設計の、和のような洋のような、北海道のような建築です。大黒町、浄福寺通りは石畳の情緒ある通りです。「かみ添」から徒歩5分です。
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京都西陣大黒町の織成館にて「芸舞妓の衣裳展」を開催。展覧会に合わせて「かみ添」の紙を納品しました。芸舞妓の衣裳を見ていると、良く見る意匠がずらりと並んでいます。全ての着物の地に「さや型」が使われているのはなぜなのでしょうか?織成館自体、島根県の廃校になった小学校の廃材で作られたユニークな建築です。しかもアメリカ人宮大工のマイケル・アンダーソン氏設計の、和のような洋のような、北海道のような建築です。大黒町、浄福寺通りは石畳の情緒ある通りです。「かみ添」から徒歩5分です。
2人のすばらしい作家さんとお話する機会がありました。
尹煕倉 氏 。無理がない、、、造り手として気になる事は、長方形の作品で短辺と長辺をどのように決めているか。仕事がら常に三尺 x 六尺(約900mm x 1800mm)を基準、1:2を基準に考えるのでユンさんの長方形は短辺と長辺の変動が大きく、これを決めるのはそう簡単ではないぞ、と思い質問すると「なんとなく決める事が多い」と。おーっ!でもそれが一番難しい。人、作品、答え、全てがユンさんでした。
高田洋一 氏バランスとコントラスト。・和紙の優しさとベアリング精密さ・作品のボリュームとスローモーション。この2つのコントラストにやられました。僕が言うのはおこがましいですが、紙を使うと言う事は、張る技術、湿度による変化を理解していないとなかなか難しい。高田氏の作品の和紙の美しい事。特に「張り」。ここは本当に重要です。お二人とお話をしピンポイントで「ある感覚」を刺激されました。技術と素材にもう少しつっこんで行きたいです。職人でありたい。
今年の春に発刊された、季刊「禅文化」216号←(過去の蒼々たる顔ぶれが凄い、、、)にて掲載された「かみ添」のテキストが「ブログ禅」にupされています。読みたいけれど手に入らないと何度が問い合わせがあったので、是非この機会に。雑誌とは違いテキスト量も多く、普段話さない経歴の事なども書いて下さっているので面白いです。今考えれば自分の作った椅子を3Dレンダリング(母校に保管中)したいがために20歳の時に初めてかった「power mac 7500」が全ての始まりです。立体(アナログ/手作)→平面(デジタル/DTP)→平面(アナログ/古典印刷)→立体(アナログ/襖/空間)で今があります。なかなか面白いです。やっぱMACすごいな。禅文化研究所のKさん。いつもありがとうございます!
越前の歴史ある和紙屋さんの助手として「町屋と和紙」に関しての講座にゲスト参加しました。和紙というか「紙」の歴史の話を聞く事が出来とても面白かったです。「具引き」という顔料染め(刷毛染め)をする自分にとって、「ドーサ(滲み止め)」されている、されていない関係なくなぜ三椏や雁皮は刷毛染めしにくいか解りました。前からなんとなく理解はしていたものの繊維の状態を考えれば納得です。「かみ添」で普段いかに隙間のない和紙(パルプが多く詰まった和紙)を使っているのか、、、。でもそれは決して悪い事だとは思いません!100%楮、100%三椏を使う理由があれば別ですが自分の仕事は「紙に化粧をする」事。顔料で化粧をする、木版で文様を入れる。地となる紙が「生紙」であるのは余りにも贅沢だし、自分が使い易い和紙、紙を探し試すのが大切だから。そもそもなぜ「和紙」にパルプが混ざり始めたか。やはり「戦争」に大きな理由にあるらしいです。とても興味深い話でした。こんな事を書きながら、今日も最高級和紙「雁皮」と向き合います!とても難しい仕事ですが、普段触る事も出来ない「紙の王様」を触れるだけで、こんなにありがたい事はない!上手く行けばそれはそれは奇麗だし。
パリヘ旅行へ行かれたお客様が撮って下さった「CALLIGRANE」の写真。オーナーさんの言う通り他の商品には紛れずシンプルにディスプレイされています。大人なお店です。
CALLIGRANE address : 6 Rue Du Pont Louis Philippe 75004 Paris tel : 01 48 04 09 00
CALLIGRANEをご存知のたくさんのお客様が「いいお店だよ」と言ってくださったので早く行ける事を楽しみに。
(写真はwikpediaより)
大本山妙心寺 塔頭寺院「春光院」春光院 について、以下 voice of kyoto からのテキストです。臨済宗妙心寺派・大本山妙心寺の塔頭寺院。現在、国の重要文化財である「南蛮寺の鐘」をはじめ、切支丹灯篭や狩野永岳が描いたキリスト教シンボルが隠されている本堂・花鳥の間の襖絵など、春光院にはキリスト教との繋がりが色濃く残る。通常は非公開寺院であるためその多くを知られていないが、信長が京都の市中を絢爛豪華な馬揃えで練り歩いた安土桃山の時代より、今なおひっそりと東西の文化交配の面影をとどめる名刹である。
春光院の歴史 1590年に豊臣秀吉の家臣であり、松江開府の祖であった堀尾吉晴公により創建された。しかし、1633年に堀尾家三代・忠晴公に世継ぎがいなかったため、堀尾家はお家断絶に。そして、春光院は堀尾家と縁戚関係にあった伊勢亀山藩主の石川憲之公が檀越となり、その後石川家の菩提寺となる。
20世紀には、近代日本哲学の中心人物で、F.A.S協会の創設者でもある久松真一京大博士が春光院に庵を構えていたこともあり、禅を世界に広めた鈴木大拙文学博士も度々春光院に訪れ、久松博士と日本の近代禅文化・哲学について語りあう場ともなった。
Japanese Decorative Gigs 2010 – 京 都 南 蛮 事 変 唐紙・襖制作で参加します。以下 voice of kyoto からのテキストです。
信長に秀吉、利休に織部。安土桃山の時代、明日散るとも知れない命を賭して戦いに明け暮れる戦国の世に突如現れた伴天連たち。16世紀の日本に突如押し寄せ、あらゆる人々の感性に衝撃を与えることとなった南蛮文化は、今なお21世紀の生活に色濃く残されています。Japanese Decorative Gigs 2010 では、「南蛮渡来」をテーマに若手染織作家によるきものコレクションをはじめ、微細な光の陰影にきらめく、この日のためだけに誂えた唐紙の襖とグラフィックアーティストによる極彩色の南蛮襖絵。そして、その先に広がるサロンでは創作和菓子でのおもてなしなどを取り揃え、二日限りのGigを繰り広げます。会場となるのは、「南蛮寺の鐘」が残る妙心寺 本山塔頭の「春光院」。南蛮に縁ある非公開寺院にて、今の時代の感性で織りなす南蛮模様のひと時をお楽しみ下さい。